ブログをやり始めて約1年。
月何回かの更新をヒイヒイ言いながらやってますが、なんとか50投稿は超えました。
そこで、自分の経歴等を少し書いてみようと思います。
幼少期
韓流ドラマのように幼少期から…と長くなるのでざっくりと。
両親ともに小学校教諭です。3歳違いの弟が一人います。
父は私が小学5年生の時に癌で亡くなりました。
母子家庭なので、あまりお金をかけないようにと公立高校へ、少々アルバイトをしたりして自分のお小遣いを稼いだりしてました。
しかし…お金のかかる美大に行ってしまいました。
母は、子供の夢を大事にする根っからの教師でした。美大に行きたいと言ったら、全く反対しなかったです。
母に反対されていたら、今の自分はありませんでした。
恩返しをしたい人No.1です。
浪人から美術大学へ
大学は、多摩美術大学グラフィックデザイン学科を卒業しました。
ここへは2浪して入ってます。
高校2年から美術予備校に通い、美大を目指して思えば約4年間受験勉強していたんですね。
東京芸術大学に入りたくて(学費安いから)、ずっと芸大コースにいました。
朝から晩までデッサン、色彩構成、立体構成、5教科の勉強をしていたあの頃。
課題ごとの講評会では、クラス20〜30人の順位が付けられます。
いかに課題に答えて独自の答えを出せるか、これが毎日でした。
私は千葉美術予備校に2年間、すいどーばた美術予備校に1年間、ふなばし美術予備校に1年間通いました。
3つの予備校を経験する人は稀だと思います。
色々な講師との出会いや自分の見識の狭さを感じたり学ぶ事は多くありました。
残念ながらずっと目指してきた芸大に落ちてしまいましたが、多摩美に合格し20歳で入学しました。
周りは1浪した子が多く、現役と2浪以上が少々と言った感じでした。
大学は課題提出がほぼ毎日あり、けっこうな頻度で徹夜してました。
毎日通うのが大変&課題多すぎで大学サークルとか部活の存在は無視でした。
なので、大学時の友人が少ないです(^^;)
「美大ってどうなの?(変わった人いる?)」的な質問を受けますが、デザイン系の学生は比較的普通だと思います。
ただ散々、自己分析みたいな事をやって受験実技に挑んでいるからか、自分の事はよ〜くわかっているといった感じです。
大学の時は、ちょうどインターネット普及期で、フリーメールアドレスを就職活動のために取得したのを覚えてます。MacBook G4を愛用してました。
10代〜20代前半は、どっぷり芸術&デザインでしたね。
しかし就職活動中で自分のコミュ障ぶりが問題だな…と思い、飲食店の接客アルバイトしたりオフ会(私語?)に参加してみたり卒業するまで半年くらいはウェーイに過ごしました。
このウェーイ期間に夫と出会うわけなので人生わかりませんね。
卒業後、就職するも一年で辞める
最初の就職は、企画やリサーチやマーケティングなど幅広い事をしていて50人くらいの会社でした。大手広告代理店やメーカーがクライアントでした。
私は、そこでクリエイティブ部に所属し営業チームの手伝いなどしてました。
同期は9人。
新入社員は、会社の鍵開け、社長にお茶汲み、掃除の放送、社用車の洗車、宴会芸など雑用を順番でこなしてました。
朝10時始まりの夜10時〜11時終わりの生活をしていると、社員同士が家族みたいになってきます。社内恋愛も多かったです。
仕事終わりに飲みに行ったり、土日もネタ探しに一緒に出かけたりしていた事もあったので相当長く一緒にいましたね〜。
しかし時代はリーマンショックの時期、社長の乱心が続き暴言が段々ひどくなって、私は耐えられず会社を辞めました。
といっても辞表後3ヶ月いましたのでその間に転職活動し、退職日の一週間後には、転職先にいました。
花屋になる
私は、ホテルオークラ東京にいました。
転職先はホテルではなく花屋です。
理由は「植物のある空間が好き!」だったからです。
そう、それだけです。
異業種から全く花を触った事ない状態での採用でした。
あの時は、デザイナー職から少し離れようという心理状態でもありました。
花屋の仕事は2種類あって、イベント装飾系(バンケット)と小売り系(ショップ)です。
その他ホテル内の植物関係全般を請け負ってました。
植物好きだし!ホテルオークラ東京利用した事あるし!(一回だけ)という理由で応募した私です。
そんな状態の新人だったので、最初はホテル内への納品と撤去をひたすらやらされました。
ホテルには本館と別館があって宴会場の数は通常の2倍、業務も2倍、従業員通路は迷路のようでした。とにかく広いので従業員はPHSを持って移動します。
納品ばかりの新人時代から次第に花を触れるようになり、館内装飾や婚礼のフラワー担当をやるようになりました。
新郎新婦と打合せして会場の装飾イメージを決め、花の内容を決め搬入する仕事です。
やりがいはありますが、これがかなり当日まで心臓に悪いのです(笑)
1日だけの晴れの日を残念な気持ちにしてはいけないというプレッシャーが半端ないです。
式が終わって二人から感謝の言葉をもらったりすると泣きそうになります。
小売りはその場で商品を渡して終わりになりますが、婚礼は事前の打合せ〜当日まで3ヶ月くらい担当者として付き合います。
良い結婚式をたくさん見ました。フラワー担当として関わる事で幸せのお裾分けしてもらったと思います。ありがたい経験です。
ホテルオークラ東京の立て替えの話が出始め頃に、疲労がピークになり、毎朝のように頭痛に悩み自宅からもう少し近い所に勤めようと退職しました。
花屋になる(2)
独身の時は千葉県に住んでいました。
満員電車が嫌で、電車に乗らない仕事場を探して、ホテル店もある小規模な花屋に再就職しました。
自宅から自転車で通える距離でした。
小規模なので自分たちでショップを作っていきます。
商品作りから考えPOPを作り店内を飾り付ける…初めての経験でした。
経費をかけずに低予算で出来る事を見つけて営業時間内に終わらせる、というのがそれまでの花屋とは180度くらい違ってました。
花屋が変われば、こんなに「色」が違うだなぁと驚いたものです。
経費の意識など、あのまま大手会社に居続けたら身に付かなかったと思います。
ここでは体を癒しつつ、国家資格のフラワー技能士を取ったり、のんびりとしてました。
程なくして結婚の話が出て、埼玉に住む予定になったので退職しました。
夫とは、大学4年の卒業間近の時からずっと付き合ってました。
ゴールデンウィークの旅行の他、半年に一回は旅行に行っていたので、結婚して一緒に住んでいても旅行の延長のような安定感がありました。新婚感があまりなかったとも言えますが。
結婚後の迷い
独身時は好きな事やって、突っ走っていった感じがありました。
深夜に帰るとか終電のがしてシティホテルに泊まるとか、ざらにあって、年末や正月も独身なので率先して働いていました。
結婚したことによって自分のライフスタイルを見直しました。
私は完全同居で義両親と住んでます。
同居と言うと一般的に「家にはいる」というイメージですが、要は気の持ちようで、自由に動けるように物事をもっていけば良いのです。
この2年、我慢しても相手には思っていることは伝わらない事がわかりました。
好きになった人の両親と言えども、考え方は、生きた時代や習慣によってかなり違ってきます。他人なのにいきなり家族になるんです。難しいですよね。
思えば、だから同居を選んだという気もします。
もし彼らが助けてほしい時に、私が他人のままだったら私自身が苦労すると思ったのです。
少しでも(同居によって)馴染んでおけば、負担が軽くすむのではないかと。
こんなことを書いていると、さぞ感情的にならない計画的な人みたいですが、夫をいつも困らせるくらい泣いてしまう私です。たまに爆発しますテヘペロ。
そんな事を考えたら同居をしつつ、また花屋の仕事を目一杯するという選択肢は難しい事に感じました。なんせ花屋は、時間が不規則で土日も出勤がほとんどです。
結婚して子供もいて続けている先輩スタッフもたくさん見てきましたが、時短だったりと仕事の制限は、やはり女性側がするようです。
花屋の仕事はそれなりに長くやっていたので好きだし自信もありました。
しかし、結婚した意味を考えてしまい悩みました。
決められない状態でWEBの学校に三ヶ月通ったりして、うんうん迷った結果、フリーランスという職業形態でグラフィックデザイナーでの再スタートが良いと結論になりました。
花屋の仕事は違う形で関わればいい、または今後関われる仕事をつくろうと思いました。
一緒に住んでいる義母が個人事業主でカフェをしていたのも影響が大きかったです。
「個人でやっちゃえば?」と軽く義母が言うので、「じゃあ、やるか!」と。
決めるのに約一年かかりました。
そうして元々好きで大学まで行って学んだ広告デザインの世界に戻ってきました。
現在
まだ収入は安定してません(^ ^;)
無名でコネクションもほぼ0ですから仕様がありません。
デザイナーの仲間も今増えている最中です。
色々な所に出向いて友人や知り合いを増やしてます。
デザインする事は色々な仕事に共通していると思います。
人の声をきき、心を動かす仕事です。
これまで経験した仕事はデザインの引き出しになってます。
デザイナーとしての知識はまだまだ勉強中ですが。
ブックデザインをしてみたい、特殊印刷をつかってみたい、など自費でできることはやろうと思ってます。
フラワーの方も何らかやりたいですね。
自分なりの仕事をつくっていきたいです。
楽しく、幸せにするデザインが私のモットーです。
将来の夢は、花とカフェとデザインをコラボした事務所を構えたいと思ってます。
たくさんの人が集まって、花と植物の空間に癒やされて、デザインを学んだりゆっくりできる場所を作りたいです。
(この文章は2017年7月18日加筆・修正しました)